「人生、何があるか分からない。」
そんな言葉をよく耳にします。
最近でも、安部元総理の大変ショッキングな事件で日本中が悲しみに包まれました。
「これが嘘であってほしいのに。」
そう思ってテレビを見続けていました。
本当に、いつ何が起こるかわからない。
そう、これは誰にでも起きることでもあります。
今回は私がこれまで経験してきたことと、その時に感じた事などを綴りたいと思います。
人生の参考になれるか分かりませんが、この記事を読んで頂き、私がどんな性格でどんな人間性なのか、そして過去にどんな経験を経て現在があるのかを、少しでも理解し共感していただける方がいてくれると嬉しいです。
20代までの手術歴
2歳で虫垂炎(盲腸)になる
私は過去に5度の手術をしてきました。
最初に行ったのは2歳の時。
「ぽんぽんいたい」と
子供ながら必死に、母にそう訴えたそうです。
当時は幼児が虫垂炎になる事例が少なく、小さな病院では風邪扱い。
何度も通いましたが、もちろんそれでは熱も下がらず体調も治りませんでした。
おかしいと思い、母は大きな総合病院に私を連れていきます。
そこでやっと分かったのが、虫垂炎でした。
2度の手術をするも、体調悪化
虫垂を切除する開腹手術が2度施されたものの、熱が一向に下がらない日々が続きました。
白目の状態で身震いしていたりと、症状はかなり酷かったようです。
医師もおかしいと判断し、再検査。
すると虫垂の穴が開いた箇所から腸全体に炎症が広がっていたことが判りました。
腹膜炎と診断を受けました。
そして、3度目の手術でお腹のど真ん中を開けて、腸を全部取り出し、洗浄して戻すという手術を行い無事成功しました。
およそ2か月間の入院生活にピリオドを打ち、人生再スタートです。
思春期は傷が恥ずかしかった
小学生までは、傷口が治らずプールはすべて見学。
おかげで今も全く泳げません。(浮き輪大好き)
それ以外は有難いことに何事もなく、周りの友人と変わらない生活を送ってきました。
食べ物の制限もないし、好きなダンスもできる。
ただ、唯一違ったのが お腹の傷跡 でした。
ど真ん中にまっすぐ入った一本の長い線。
修学旅行でみんなで大浴場に行かなきゃいけないときは、傷跡をタオルで必死に隠していましたし、高校生の時は「みんなでビキニで海!」とか憧れていましたが、傷跡が恥ずかしくてビキニなんて絶対着れないと思っていました。当時は水着=ビキニが主流でしたので、ビキニ以外の水着を着る勇気もなく、予定がなくても予定があると偽って断ることもありました。ダンスの発表会でも、お腹出し衣装の時はどうやって傷跡を隠すかを必死に考える日々。周りは大したことないと思っていたかもしれないけれど、傷跡が本当に恥ずかしかったのです。
30代になって、やっと大浴場に堂々と入れるようになったと思います。
22歳で卵巣嚢腫を摘出
大学4年生の夏でした。
それまでは、有難いことに何事もなく、周りの友人と生活を送ってきました。
食べ物の制限もないし、好きなダンスもできる。
友人宅で美味しいペペロンチーノを食べた後の出来事。
急にお腹が痛くなり、トイレに行きますが何も出ない。
諦めてトイレから出ようとした瞬間。
気づいたら気を失って床に倒れていました。
救急車で搬送され、検査が行われて分かったのが、卵巣嚢腫でした。
検査をしていくうちに卵巣嚢腫が肥大しており、悪性か良性か判断しかねる点から摘出手術を行うことになりました。
この時、形成外科の先生が一緒に手術を行い、お腹の傷を綺麗にしてもらうことになっていたのですが…予定日よりも手術が早まり、形成外科の先生が入れずに終了。4度目の手術です。
傷は治せませんでした。
腸閉塞と診断され、緊急手術
結婚・出産を経て新米ママに
「傷跡かっこいいね」
そう言って褒めてくれたのが今の旦那です。
今まで傷が恥ずかしいと思っていたのに、肩の荷が少し下りた瞬間でした。
とても心に刺さった一言で、今でも鮮明に覚えています。
…多分旦那は覚えていないだろうけど。
結婚後、妊娠を希望していましたが、卵巣嚢腫を摘出しているので、卵巣は右側のみ。
さらに右側の卵管は通水しておらず、体外受精しか妊娠は望めませんでした。
しかし、奇跡的に不妊治療が成功し、30代で一児の母となりました。
娘の1歳の誕生日翌日に…
産前産後休暇と育児休暇をいただき、娘の1歳の誕生日までは家族との時間に費やすことができました。会社の同僚には本当に感謝しかありません。
上司は育休中でも異動や会社の変化があった際に連絡をくださり、育休中でも会社の一員であることを認識してくださっているような気がして本当に嬉しかったです。誕生日やクリスマスには娘にプレゼントを用意してくれました。
そして娘の誕生日を無事に迎えて仕事復帰。
これから仕事も子育ても頑張るぞ~!と気合十分でした。
その矢先の出来事です。
仕事復帰の翌日に腹痛が。
結婚してから年に1~2回ほど、食べすぎたりすると腹痛に悩まされることはありました。
今回も同じような症状だろうと安易に考え、いつも通りの対処法でご飯をあまり食べない工夫で乗り切ろうとしていましたが、全く治りません。
救急車を呼び、夜中に検査が始まり、緊急手術になりました。
原因は腸閉塞でした。
手術は孤独
検査は明け方まで続いたので、早朝の手術となりました。
もちろん旦那は一睡もできず、寝不足の中、手術が終わるまで娘と待っていてくれました。
手術前に旦那と娘と会うことができたので少しお話できました。
旦那「がんばってね」
娘は状況がつかめておらず、満面の笑み。麻酔用の点滴の管や鼻の管を通した状態の私の顔をパチパチ叩きます。
ムチムチのおててとあんよに少しだけ触れて、お別れをしました。
もっと触りたかったけど、不安と寂しさで涙が止まらなくなりそうだったのでやめました。
旦那には、「鼻の管が痛くて涙が出てくる」と咄嗟に嘘をつきました。
心の準備をする間もなく、手術台へ連れていかれ、全身麻酔して手術が始まりました。
開腹手術で、癒着していた腸を切断しました。
激痛と闘う日々
手術は成功。
そして麻酔から目が覚めました。
全身に激痛と寒気が走ります。
今回は本当に辛かった。本当に痛かった。
寒気は少しずつ落ち着いてきたものの、痛みは一向に消えない。
この痛みをどこにぶつけたらいいのか分からず、点滴が入っている手でベットの柵をひたすら叩いたり、足で蹴ったりしていました。とにかくベットで暴れた。
痛み止めは全く効かず、看護師さんに痛いと常に訴える。
訴えて治るものでもないけれど、とにかく誰かに共有したかった。
看護師さんが離れるのが嫌で、気づいたらしがみついていた。
陣痛より痛かった。
もちろん眠れることはなく、一睡もせずに夜明けを待ちました。
コロナ禍でなければ、家族にも会えたのですが、面会禁止なので寂しさが増したと思います。
保育園と仕事
痛みは数日続き、少しずつ耐えられる痛みにまで落ち着きました。
手術して2~3日は経っていたと思います。
携帯を持つという行為だけでも痛みが出るので、横になってじっとしている日々。
すると看護師さんから「ご主人が連絡が取れないと心配していると病院に連絡があった」と聞き、ハッと思い出して痛みに耐えながら旦那へ連絡を入れました。
そこで私の職場に連絡してくれたことや、主人のお義母さんがわざわざ3時間半かけて駆けつけてくれたことを知ることに。
職場は本当に温かくて、私の体調を優先してゆっくり療養に専念してくださいと言ってくださったようです。
娘は保育園にやっと慣れてきた頃でしたが、傷口が20~25㎝ほど縦にある私の体調がすぐに戻るわけではない。
旦那と相談の上、しばらく保育園はお休みして娘を旦那の実家に預かってもらうことにしました。
入院生活とリハビリ
腸閉塞の手術だけでなく、胃や腸、産婦人科系などお腹の手術をした場合は、痛くても早く動くことが大事だそうです。
私は術後1週間はかなり痛みがあり、トイレに行く以外はほとんど動かなかったのですが、先生が「絶対に動いた方が良いから、動けるときに動いてくださいね!」と何度も言ってくれました。なんでそんなに必要なんだろうとネットでも検索してみると、消化器系の手術をすると腸が癒着しやすくなって腸閉塞になりやすいとのこと。それを回避させるには、術後体をなるべく動かすことが良いそうです。後から全く同じことを医師からも言われました。
体力もかなり落ちていたし、傷口の痛みはあるけど、知ったその日から動けるときは頑張って動かしました。
絶対にもう開腹手術はしたくない、という一心でとにかく動きました。
退院後のリハビリ
入院中の病院食は、術後4日間ほどは点滴のみで、そこからジュース(激マズ)、3分粥、5分粥、全粥と一日毎にステップアップ。退院までは消化の良いものを摂り続けていました。
退院後1~3か月は食事に特に注意した方が良いそうで、消化にいいものを調べて食べていました。
消化にいいと思って食べていたものが、実際は消化に悪い食材もあり、私自身も驚いたので、実際に食べていたものを記録したいと思っています。皆様の参考になれるように記録しますね!
抱っこができない
退院して旦那には会えたものの、体力は衰退。
見た目で分かるほど痩せてしまったようです。
傷口は全くふさがっておらず、まだ糸で止めている状態。
傷に当てているガーゼは数時間で膿が染み込み、すぐに替えないといけない状況。
退院前に告げられたのは、
「娘さんの抱っこをしばらく控えてください」
これはかなりショックでした。
せっかく会えても、抱っこしてあげられない。
体力もないから、たかいたかいもできない。
旦那と旦那の家族は、私の事を第一に考えてくれて、退院後も娘をしばらく預かってもらいました。娘と直接会えない日が3週間続きました。寂しかった。
家族の存在
私の完治が大前提
娘に会えない寂しさはとてもありましたが、これも私の事を第一に考えてくれているからです。私の性格上、娘が近くにいたら絶対に動いてしまうし、抱っこも求められたらしてしまいそうになる。(というか、母なら子供のために無理してもやってしまいがちですよね。)
旦那も娘が大好きなので、本当は早く迎えに行きたかったと思いますが、私の体調を気遣ってくれました。
毎日テレビ電話で娘と会話。本人はよく分かっていません。
抱っこしてあげられなくて、ごめんね。
みんな私の事を心配してくれ、そしてみんなが協力してくれた。
本当に感謝しかありません。
この御恩を返すためには、私自身がしっかり体調を治して元気になること。
とにかく療養に専念しました。
母親としてのフォロー
お義母さんは私の事を本当に考えてくれている優しい方です。
私もお義母さんのような寛大な心を持つ母親になりたい。
心からそう思える方です。
娘の世話も大変なのに、私たちに毎日テレビ電話をかけて娘と会話を楽しませてくれます。
新しいものを食べさせるときは、毎回確認の連絡までしてくれる配慮っぷり。
新しくできるようになったことがあれば、動画で記録までしてくれています。
名前を読んだら手を挙げてお返事ができるようになっていたり、「お年は何歳ですか~?」という質問に対して指を1にして答えられるようになったり。階段を上ることもできるようになったし、テーブルから降りることもできるようになりました。
1歳の成長は著しいので、1か月以上会えない日が続くのは親として見逃したくない瞬間でもありますよね。直接見たかったけど、しっかり伝えてくださることに本当に有難さを感じます。
娘も見て~!という感じでテレビで毎回見せてくれます。
早く直接会ってたくさん褒めてあげたい!
人は周りに助けられて生きている
自分を責めすぎない
手術して、体力もなく、親として子供に対して何もできないもどかしさ。本当に辛いです。
娘に対して抱っこもできず、傍にもいてあげられない。
何度も申し訳ないと思い、自分を責めることも多々ありました。
でも娘を見ていると、新たな環境で良い刺激をもらい、日に日に成長していることに気付かされました。娘も頑張って成長しているのです!そして生き生きとしている。
もちろん母親がいなくても大丈夫、という事ではありませんが、母親はこうあるべきという常識を覆し、新たな子育て方法もあると思って自分を責めすぎないでほしいです。
周りの方々は思っている以上に、とても温かいです。
親は完璧でなくても大丈夫。
周りに頼れるときは頼っていいんです。
自分にもそう言い聞かせながら、今は治療に専念したいと思います。
完治したら思う存分抱っこをしてあげよう!!!!
まとめ
私は人に甘えることが苦手です。
姉妹の一番上で育った環境もあり、すべて自分でやろうとしてパンクしてしまうことも。
そして後々周りに迷惑をかける。
そうなる前に相談したり、少しでも発信して気づいてもらうことが大切だと感じています。
とはいっても、私もなかなかできないのですが…
甘え上手になれば、少しは気が楽になりますよね。
自分でできると思っていることを8割くらいに抑えて甘えることになれることが大切です。
甘え上手を目指しましょう!